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市民活動

北名古屋市内の市民団体等の国際交流活動をご紹介します。


東日本大震災義援金

北名古屋のこころ被災地に届け

 「東日本大震災で被災したフィリピンの人たちに届けて欲しい」と義援金が協会に届きました。
 フィリピン雑貨を扱う「KAIBIGAN」(徳重)の義援金箱に寄せられた「北名古屋のこころ」です。 マニュエル・M・ロペス駐日フィリピン大使に届けました。
義援金 45,902円。

中学生の国際交流

友好都市韓国務安郡との相互交流

 本市は、平成20年7月に韓国務安郡と国際友好都市提携を結びました。
 今年度も、中学生を相互派遣し、交流を深め、友好の絆を強めるとともに、国際理解教育を推進し、21世紀を担う国際感覚豊かな人材の育成に努めます。
 今後とも中学生による国際交流は粛々と進めます。 市内の中学一、二年生の皆さん、一度チャレンジしてみてください。

 お問い合わせは、国際交流協会事務局へ  

平成28年度韓国務安郡派遣研修報告書はこちら PDF

平成25年度韓国務安郡派遣研修報告書はこちら PDF

平成24年度韓国務安郡派遣研修報告書はこちら PDF

平成23年度韓国務安郡派遣研修報告書はこちら PDF

平成22年度韓国務安郡派遣研修報告書はこちら PDF

平成21年度韓国務安郡派遣研修報告書はこちら PDF

私たちの国際交流:24

来日研修生が観ている現在は

外国人への日本語教育ボランティアに私は毎週参加しております。そこで出会ったベトナム人の実習研修生らと一緒によく遊びに行きます。彼等の個性はそれぞれに異なりますが、純粋な若者たちが多いですね。3年間ほどの限られた研修期間に何かを学ぼうと懸命です。

この決して長くはない滞在期間に日本の良い面も悪い面も、しっかり見ていってほしいという思いが私にはあります。時折、彼らが自分の若いころと重なって見えることがあるのです。

四十年以上前、大学卒の初任給が五万円程の時代です。バイトでも一日働いて、やっと千円程度でした。そんなころ、私は会社を辞めて海外で働きながら旅行をしていました。カナダではガーデナー手伝いで、時給3ドル25セント貰っていました。当時の為替レートは、米ドルもカナダドルも1ドル300円位でしたので、時間千円位の賃金になります。このことは現在ベトナム人研修生が日本で体験しているのと似ていますね。

私が初めてアメリカへ行ってロサンゼルスの空港を一歩出たとき目にしたショックは計り知れませんでした。縦横に延びる片側五車線もあるフリーウエイ。テレビや映画でしか見ることもなかったスマートな大型高級車が颯爽と走る姿。どこがどう繋がるのか見当もつかないほど複雑に絡み合ったジャンクション。そこを、乗用車の背丈よりも高いタイヤを履いたトレーラーがダイナミックに煙を吐きながら昇って行く光景は、まるでタイムマシンで訪れた未来社会そのものだったのです。

更にカナダで驚いたのは、杖をする老婦人の多くが車を運転していたことです。未だ日本では女性ドライバーさえ多くなかった頃です。そして、道路にゴミが散らばっている様などには全く遇うこともなく、トイレはどこへ行ってもきれいなのに感心しました。

交通マナーも非常に良くて、割り込みをするような車はあまり見かけませんでした。片側三車線もあるような広い道路の横断歩道でもないところを私が渡ろうとすると、向こう側車線の車がずっと停止して待っていてくれるのには感激したものです。

そんな話を彼等にしたことがあります。すると彼等は言いました。「それって、私たちが今見ている日本ですよ」そう、彼等は日本に祖国の未来の姿を見ているのかも知れません。

日本語ボランティア 梅田 喜代一

私たちの国際交流:23

「にこり」の修行

北名古屋市が誕生した1年後に国際交流協会が発足。その半年後に成人の日本語教室が始まり、その後小・中学生にも活動が拡大しました。27年度は小学校10校中9校、中学校は6校中4校に出前授業を、多くのボランティアさんの協力で行うことができました。

熊野中学校に2年半前の8月末に、タイから2人の男子が来日し9月から1年生に編入、私が担当となりました。片言の日本語しかわからなかったが、2人は真面目で努力家で人柄の良い生徒でしたので大好きになりました。

今年は2人にとって高校入試で試練の年であったので、学校の先生方は無論、私までが重圧を感じました。2月末の日本語教室最終日に、2人は直立不動の姿勢で「先生ありがとうございました。公立高校に合格できました」と満面の笑顔で合格証を見せてくれました。担任の女性先生も来室されてお礼を言って下さいました。大したお役に立っていないので恐縮しながら、目がウルウルときました。

いつでも君たちの味方だよ、困ったことがあればここに電話を下さいと、名刺を2人に渡しました。名刺の裏には真面目・正直・努力・健康・親孝行と書きました。親孝行については、お父さんは日本人だが、お母さんはタイの人なので、君たちのことを常に心配して下さっている。学校や外でどんな嫌なことや、辛いことがあったとしても、家に入る前には深呼吸をして、お母さんと顔があったら必ず「にこり」としてほしい。その修行が、いま君たちのできる最高の親孝行なのだと強調して、2年半続いた日本語教室の最後の授業を終えました。

退出時ご挨拶に伺うと、校長、教頭、窓口の教務主任、それに担任の各先生方から、あたたか味のある、過分で丁重なお言葉をいただき、余韻の残る思いを胸に、熊野中学校舎に、深く深く一礼して校門を後にしました。

日本語ボランティア 美越 宣男

私たちの国際交流:22

心の交流

私が外国人のお子さんに日本語を教えるボランティアを始めて1年半が過ぎました。現在、小学6年生のトルコ出身の男の子を担当しています。授業初日、はにかんだ笑顔を浮かべながらも、どんな授業が始まるのか分からない、不安そうな様子だったのを覚えています。当初は、もちろん会話もままにならず、手探り状態で授業を進めました。時には元気の無いこともあり、そんなときには大好きなトルコの話をしてもらいました。絵を描いたり、インターネットの画像を使いながら、覚えた日本語で一生懸命にトルコの話をする彼の眼は、キラキラ輝いていました。そんな彼も、今では流行り言葉を使い、伝えたいことを自由に話せるようになってきています。

実は、私の娘達も同じような体験をしたことがあります。今から10年前、主人の仕事の関係で、私達家族はアメリカのオハイオ州に移り住み、当時高校2年生と中学校1年になった娘達は、現地の学校に通い始めました。高校1年まで英語を勉強していた長女と違い、次女は英語を勉強する前に渡米してしまったので、授業も全く理解できず、いたたまれずに教室から逃げ出してしまったこともあったようです。言葉以外にも、人種や文化の違いに戸惑い、予期していたものと違う現実に動揺していました。そんな中、現地の先生方は娘達の心を理解し、寄り添ってくれたのです。言葉の壁がどれほど大きく、それを乗り越えようと、いかに娘達が頑張っているかを、他の生徒たちに話してくれた先生もいました。ご自宅で英語を教えてくれた先生もいました。どれほどありがたかったことでしょう。アメリカでの2年半を通して、「言葉の壁は大きい、されど心の交流は国境を越える。」という大切なことを私達は身をもって学びました。

日本語ボランティアを始めた私に、次女が、母国を離れてきた子供の心を誰よりも理解してあげて欲しい、と涙ぐみながら言ってきたことがあります。日本語教師である前に、子供の気持ちをそのまま受容できるような、良き理解者でありたいと強く願っています。

日本語教室ボランティア 大野 朋子

私たちの国際交流:21

国際結婚あれこれ

今は世界のどこの国へも気軽に行くことができる時代となり、国際結婚される方も多くなったと思います。

人口約8万人の北名古屋市での国際結婚されている方も相当数になると思われます。私は40年前にミャンマー(ビルマ) 人と結婚しました。婚姻届けを役所に提出に行ったら町で初めてだと言われた記憶があります。

結婚は両人の合意で成り立ちますが生活するのはいろいろな社会的な制約が加わります。

ミャンマーは仏教国であり、風習も良く似ておりやっていけると簡単に思いましたが浅はかで、細かい点でいろいろ違っており、今に至ってもというか、なかなかその溝は埋まりません。例えば、お墓の話ですが、ミャンマー人にはお墓を造って弔うという習慣がありません。日本人の私は理解できないことです。もっとも、先祖からのお墓を守っていくことができなくなり、放置されていることが取りざたされているのが、日本の現状ですが……。40年たっても片方にとり生活 (人生) の根幹であり、押し付ければ押し付けるほど抵抗が増加してしまいます。まあ、そういいながらも続いているのは縁あってのことだと思います。

次に私の子ども (長男長女) はいわゆるハーフで日本とミャンマーの血が50%ですが、子どもはミャンマー人と結婚しましたので、孫たちは日本25%、ミャンマー75%になる勘定です。

次に、マレーシアなどにシルバー移住される方が話題に上がりますが、私たちも70才過ぎたら女房の土地であるミャンマーに移り住もうかと考えることがあります。何故かというと日本と比較すると冬寒くないし、自然災害も多くなく、ビザとか、医療、住居の心配もなく物価も安いので、なまけものの私にとり、のんびり生活が送れます。

日本人は、とかくしがらみに縛られ親からの土地にしがみついて汲々と生活しておりますが、それがよいことか、わかりません。時代が移り変わるにつれ生活の価値も変化していきます。同様に結婚の価値も私たちの時代と今では随分と違うと思います。つまるところ二人が幸せと感じ取れればそれでよいのではないでしょうか。

井上清久氏

私たちの国際交流:20

アジア手芸品の架け橋

2年前から北名古屋市国際交流協会のブースに参加させていただいているアジアの手芸品フェアトレードのBanduです。いつもたくさんの方にご来店いただき感謝いたしております。また、北名古屋市の活発な国際交流の様子をい つも楽しませていただいています。

Banduは簡単に買いにいけない場所で作られているアジア各国の手芸品や、市場でみつけた逸品をご紹介させていただいています。簡単にいけないところとは、差別されている人達の作業所や麻薬が蔓延しているスラム、想像を絶する奥地にある田舎です。 「Bandu」 は南インドのタミル語で 「友達」 という意味です。私は2010年に南インドの大都市チェンナイから車で5時間以上かかるDeenabandu村(=貧しい人の友達の村)という差別されたダリッドのための開拓村で素晴らしいクロスステッチに出会いました。 その出会いからこの仕事をはじめましたが、残念ながらまだ店舗を持っていません。今、アジア各国には、人件費の安さから先進諸国の企業が進出しています。経済的に豊かになり物価もうなぎ上りに上がっています。 しかし、それは都市部のほんの一部に限られたことで、田舎やスラム、差別された人たちにとってはなんの恩恵もなく、物価が上がって生活は苦しくなるばかりなのです。 高度な技術で時間をかけて手芸品を作っても売れないので、不安定な雇用で安い賃金でも、現金がすぐにもらえる外資系の工場に働きにいきます。だんだん作る人が減り、入手できなくなってしまった手芸品もあります。 ネパールの手織りカシミアのストールは、ネパール人看護師を育成するために役立てられていますが、これからは、その売上金より大地震後の復興支援もいたします。

アフリカのシアバターのアテンドリエペジーブルと共に北名古屋市にうかがいますので、お買い物をする人と手芸品を作る人との笑顔をつなぐアジアの手芸品フェアトレードのBandu(バンドゥ)をこれからもよろしくお願い致します。

Bandu=バンドゥ 代表 井手 初穂

私たちの国際交流:19

中国語学習

私は月に2回(日曜日)、ハルピン出身の知的で美人な先生が教えてくださる中国語勉強会に参加しています。勉強会には私より年長の先輩たちも多く、皆さんとても熱心に授業を受けていらっしゃいます。

そもそも私が勉強会に参加するきっかけとなったのは、勤めていた会社に中国の技能実習生の方々が働きに来たからでした。彼らは仕事や日本語、そして日本の習慣について真面目に毎日たくさん質問してくるので、仕事や生活に悩みを抱えないようにして欲しい、そしてその熱意に出来るだけ正確に答えようと思ったことが始まりです。

私が学び始めると、彼らは私にとても親しみを持ってくれ、次第に中国の家族のことや帰国した後の夢についてもたくさん話してくれるようになり、仕事の上でのコミュニケーションも更にスムーズに出来るようになりました。

海外に行ったことのある、もしくは海外からのお客様に接した経験がある人の多くは、国は違えども人は皆同じだと感じた経験があるのではないでしょうか。そしてその感覚をもっと多くの人が共有出来れば、国際交流の輪は更に大きくなるのかな、とも。

私の妻は中国伝統楽器の「二胡」の演奏活動を時折行っています。先日の国際交流協会主催の「アジアフェスティバル」でも披露させていただきました。二胡の演奏を聴きに行くようになり初めて知ったのですが、とても多くの日本人が中国楽器や伝統文化を愛しており、演奏会のために中国から来日される二胡奏者の方たちと共通の文化を通じて国境を越えてすぐに意気投合している様子を目の当たりにして、そこでも感動しました。日々これ新発見ですね。そういえば妻との出会いも、私が中国語を学んでいることがきっかけでした。

いつか私も人と人をつなげる仕事に就きたいというひそかな野望を秘め、せっせと中国語勉強会に参加しております。宜しければ皆様もご一緒にいかがですか?

春は習い事を始める絶好の機会ですよ!

運営企画会議ボランティア 安田 順平

私たちの国際交流:18

国際交流ボランティアで思うこと

残暑のなかった今年の夏、久しぶりに訪れた抜けるような青空をみると、穏やかで、人は皆平和な時を過ごしていると思ってしまうのです。でも、明日もまた同じ日がむかえられる確証は無いのです。突然襲ってくる天災、身をむしばむ病の発覚、交通事故、不満だらけの政策にもかかわらず、優しい虫の音をきき、明日もまたくるはずの幸せを信じられる私たちは、何と平和なのでしょう。一週間、一か月、一年の速さをつくづく感じ、何かしなければ残りの人生が見えてきたと思った頃に出会ったのが、「社会人日本語教室」でした。

最近の若者の言葉の乱れ、辞書をも覆しそうな不可解な言葉。日本語は、健在でしょうか。通って来るのは主にアジア圏の人たちで、笑顔が人懐こく、一日働いて疲れているにもかかわらず、大きな声で「こんばんは。」と挨拶する彼らに、「おもしろくない日本語」と思わせてはならない、と思うのです。それにはまず自分がその身になってみようと、英会話教室に入ってみました。他国語を学ぶ時、何が一番難しいと感じるのか、どの方法が一番理解できるのか。4年たって何の進歩も無い私に比べ、この難しい日本語を働きながら学び、一週間毎に上達している彼らに驚き、私も一緒に学び直す毎日です。美しい日本語を覚えてもらい、母国の事、家族の事、友達、趣味、尽きぬ会話で、楽しい生活を送ってくれる事を願っています。

ハワイでは、お年寄りが亡くなると、図書館がひとつ消えた、といいます。豊かな知識と多くの経験を持つ人生の先輩を、こう称えるのです。今年もはや後半となり、私は何を学べたでしょうか。私もこのように日々を歩めたら、幸せだと思います。柿の葉が、秋の日差しでやわらかな影を落としています。明日もまた穏やかな日が訪れますように。

霞 多希子

私たちの国際交流:17

我が家の国際交流

初めて我が家に寝泊まりした異邦人はソウルから来た3人の女子大生であった。共通の話題はボーイ・スカウトに関することだけ。彼女たちの情報は事前にほとんどなかった。それでも食事の時にはさすがに賑わった。あれやこれやと話が弾んだ。味噌汁は大丈夫だが、吸い物は皆苦手であった。濃い味でないと、受け付けないようである。見知らぬ人と打ち解けるには食事に限ると再確認。

彼女たちはボーイ・スカウト愛知県野営大会に参加するためにやってきた。我が家から大会に見学に出かけていった。韓国からはローバー(大学年齢)クラスとの交流もプログラムにとの意向が寄せられていた。我が団と半田のローバースカウトを我が家に呼んで、彼女らと交流会を開催した。

残念ながら、彼女達の会話力不足で活発な話し合いはできなかった。それでも、日本のローバー活動の大筋はつかんでいったようである。滞在中、座敷ではお茶の作法や着物を着たり、雛人形など日本文化に触れさせた。

年頃の娘さんを3人も預かることは、責任感で気が重かった。断りたかったが、3人が寝泊まりするスペースは十分あったので応じたに過ぎない。だが、これで終わらなかった。その後、何人の韓国の子どもたちが我が家でステイしたことだろう。3人の女学生の受け入れが序曲になるとは想像だにしなかった。

当時、「マインド」という海外と交流する団体がこの地にあった。会員でもない我が家が協力する羽目に。孫のような子ども達との生活は夫婦には随分な刺激となり、毎回楽しい思い出となった。名古屋のスポットを韓国の子ども達に逆に教えられたほどである。

韓国でも日本のコミックが放映されており、テレビ番組に関心を持っていた。特に「コナン?」という番組で日本語を覚えると言って、我が家でも熱心に観ていた。このコミックは購入しプレゼントした。様々な記憶が今も残っている。

山田 建二

私たちの国際交流:16

目を見て話そう

 May I help you?
と、自信をもって外国人に声をかけ、外国人の役に立ちたいと思っているのです。只今、英語の修行中。本番には、まだ時間がかかりそうです。
 元はといえば、随分前に、アメリカで生活したとき、そこの人たちに親切にして頂きました。その恩返しのつもりで、日本へやってくる人に何かお手伝いできないだろうか、と思いました。
 世界がまるごと長久手にやってきた万博のボランティアをさせていただきました。
 北名古屋市が誕生し、国際交流協会ができました。そのメンバーに加えていただきました。
公園で外国の女の人と目が合ったら、にっこり微笑んでくれました。思わずHello! と声をかけていました。それから友達になりました。韓国の務安へ行きました。韓国語はできませんが、ちょっぴり英語で話しました。とたんに、相手の目が光りました。そこから、少しだけ話しができました。
 協会の英語講座の先生、コロンビア人のAさんに言われました。目を見て話しなさいと。
 英語に自信がもてないので、どうしても伏し目がちになってしまうようです。これは、外国人から見れば大変失礼なことと知りました。これからは、こういうことにも気をつけながら、世界中の誰とでも、仲良くして、そこから国際交流が始まり世界平和へのきっかけになっていければいいなと考えています。
北名古屋市国際交流協会理事 辻本隆子

私たちの国際交流:15

中学生国際交流プログラムに参加して

毎年夏に北名古屋市と友好都市務安郡との中学生を相互派遣する国際交流プログラムがあります。私は、今年、協会から引率者の一人として参加させていただきました。このプログラムは、今年で5年目になりますが、これまでの北名古屋市の単独主催から、北名古屋市国際交流協会が加わり、共同主催で実施することになりました。これは、市民が主役となる友好交流の第一歩に なっていくものと思います。
 今年は、夏休みに務安郡の中学生12人を北名古屋市に受け入れ、北名古屋市の中学生11人を務安郡に派遣しました。研修やホームステイの体験等など盛り沢山のプログラムでした。北名古屋市では、参加希望の中学生を公募して、実施しています。事前研修も2回、韓国について、務安郡の状況、韓国語の勉強等しました。中学生達には外国語でプレゼンテーションを初めて体験する機会にもなりました。小さい声しか出せなかったのが、短時間で、大きな声で人に聞かせるように変わっていく姿に驚きました。務安郡では、韓国伝統家屋での宿泊を経験しました。初めてのことで戸惑うことが、沢山でした。
 国が違えばおもてなし方法も違います。しかし、その暖かい心を思えば理解できます。中学生達は、言葉があまり通じなくても自然にふれあう事ができ、良い出会い、良い思い出、良い経験ができたと思います。この友好の輪をつないでいって欲しいと願っています。今年は例年にない猛暑の中、無事にプログラムが終了したことを感謝しています。
友好提携都市交流委員会 伊藤慶子

私たちの国際交流:14

人生を豊かにするもの

 子供の頃、世界中の人と友達になれたら楽しいなあって憧れた私。
 中学1年生の時に、実家で(公財)AFS日本協会が招くアメリカ人女子高校生のホストファミリーをしたことをきっかけに、海外への興味が広がりました。また、その時出逢った大学生ボランティアの方達が英語で流暢にアメリカ人留学生と話しているのを見て、大きな刺激を受けました。
 大学ではスペイン語を学び、スペインに1年留学。
 結婚してからは、勤務先からアメリカへ派遣された夫とともに、オレゴン州で暮らしました。オレゴン州立大学大学院に通い、世界各国からの留学生と友達になりました。皆で一緒に山荘を借りてスキーに行ったり、砂漠にキャンプに行ったり、各自の国の料理を作って招待し合ったり。そうした交流を通じて、其々の国の文化、価値観を興味深く学びました。  海外へ視点が広がったおかげで、自分の人生がとても豊かになったと思います。
 日本に帰国して、海外で多くの方から受けた御恩返しをする為、また、自分の子供が海外に興味を持つ環境作りの為に、私自身の異文化体験原点となった(公財)AFS日本協会のボランティアとなり、20年以上留学生の受け入れに携わってきました。
 出逢った大勢の世界中の若者達のおかげで、我が子達は、国籍の壁を作らなくなったように思います。
 娘もアメリカに留学します。
 今夏は、娘と、スイス各地の4人の元留学生達を訪ねる計画です。
 昨年から北名古屋市国際交流協会の一員にしていただき、韓国を訪問しました。
 おかげで、最近は韓国のことも少しずつ知り始めました。 お隣の国だから、もっともっと知りたいです。国際交流が、私と私の回りの人達の人生を益々楽しく豊かにしてくれることを願って。      山田 聡子(運営企画会議地域おこし委員会)

私たちの国際交流:13

私のボランティア入門

 1月27日のアジアフェスティバルは、たくさんの来場者の方に楽しん で頂き、何とか盛況な形で終える事が出来て、安心しました。
 今年で、北名古屋市国際交流協会ボランティアに参加して3年となります。昨年の韓国フェスティバルからの参加で、今年はインドネシア・ バリ舞踊の担当をさせていただきました。以前、駐在経験のあるインドネシアで見た、バリ島の特徴的な舞踊を市民の皆さんに、耳=歌と音楽、 目=バリ人による踊りと衣装を見て頂いたら、カルチャーショックとは言わないでも、インドネシアという国に興味を持っていただけるかなと思い、企画させていただきました。 実際、文化勤労会館の小ホールにて、アジア独特な音楽が始まり、『極楽鳥』の舞の衣装を着た、二人の女性が舞い始めると、集まった市民の方から、『綺麗だね。。』という声が多く聞かれまし た。また、バリ人の男性達による、ゆっくりとしたバリの歌と、その楽器演奏は不思議なアジアの雰囲気に会場を包んでくれました。こういう形で演奏や舞踊を、生で体感していただきた かってです。。。昨年の韓国フェスティバルでは、中学生の方々の韓国務安郡へのホームステイ体験発表会のお手伝いもさせて頂きました。海外=韓国へ行き、自分の力でホームステイ先の韓 国人の家族とコミュニケーションして、自分の気持ちを伝える、相手の気持ちを理解する、そうして日本に無い物や事を体験されて、頼もしくなる中学生の姿を見させて頂いて、国際交流 協会の行事を通じて色々なイベントをお手伝いすることに、やりがいを感じました。こうした気持ちへ自分を動かしたのも、昔の自分の体験があったからだと思います。約11年の海外駐在 をして、いつもその赴任先の海外の方に教えて貰いながら、自分自身を成長させ、自分自身の発見をさせてもらいました。
地域おこし委員会委員長 永井政光

私たちの国際交流:12

私のボランティア入門

協会ボランティア委員会委員長 美越宣男
 私は在職中、海外五カ国の現地法人で働く機会をいただいた。短い時で一~三ヶ月、長い時で七ヶ月間、工場現場で汗を共にした。
 どこの国でもトップからは、必ずと言っていいほど、「あなたの信仰は何か」、「どんなボランティア活動をやっているのか」を聞かれた。信仰は二十歳の時から今に至るまでゆるぎなくやっているが、ボランティアについては会社人間で心もとない。妻が市民記者や民生委員をやっているのでと、お茶を濁してその場をしのいでいたが、ボランティアをやっていないと、海外では信用されないと痛感した。
 海外では現地の人達の協力のおかげで、いずこも成功裡に帰国出来たので、このお返しに定年後は日本語を教えようと、大学通教の日本語教員育成コースに入学した。在学中は市の運動推進員や、今も続いている独居老人見回り等の活動に参加させていただいた。大学通教を卒業した翌年、北名古屋市国際交流協会から、日本語教育を始めるのでボランティアにと、お誘いを受け今に至っている。
 言うまでもなくボランティア活動は、人のためにやっているのではなく、自分のためにやるというのが基本精神なので、ボランティア仲間の皆さんと協力の輪を広げながら、楽しく無理のない範囲で、さらにより充実したボランティア活動を目指していきたいと思っている。
 今ではこの活動と、市や地元名古屋芸大での、生涯学習講座を受講することが、私の楽しみでライフワークになっている。

私たちの国際交流:11

気楽に付き合おう

 世界には数多くの言語がある。国の数の何十倍もの言語があるという。僕の知人に は、英語、中国語、ハングル語など多言語に堪能な友がいる。中国の大学で教鞭を とっていたこともある。現在は、日本の大学で指導にあたっている。世の中には言語感覚に優れた才能を持っている人が実際にある。僕にはそのような人が羨ましい。国 際交流は多言語に堪能な人だけができるのだろうか。
 小学校5年生の時、ラジオで遊んでいた。 ダイヤルをゆっくり回すと、外国語の放送が入ってくる。 「こちらはモスクワ放送です。ただ今日本向けに日本語放送を行っています」とアナウンス。これが僕が初めて聞いた外国の放送であった。知らない国の放送。僕にはラジオの素晴らし さが恐ろしく魅力的になり、放送の虜 になった。それから、BBC、VOA、ラジオオーストリア、北京放送など多くの日本語放送を見つけ出した。中学校に入り、英語を学校で学ぶようになった。時報の後、放送局名と送 信周波数のアナウンス(ステアナ)を 何度も聞いて、放送局を探り当てるようになった。受信の状態と放送内容を書いて放送局へ送った。内容が正しいと放送局から美しいBCLカード(受信証明書)が送られてきた。それ が海外と接するきっかけとなった。そ の後、海外の多くの人と交信を楽しみたいという欲望が強くなり、高校時代にアマチュア無線の免許を取得した。海外との交信は実にスリリングで魅力的であった。できもしないジャパ ニーズイングリッシュで楽しんだ。 
 外国語は苦手である。日本語すら不満足な状態である。不得意なことをしなければならないのが社会というもののようである。そんな僕に国際交流の手伝い役が回ってきた。
 外国人の日本語教育の一端を担う授業を小学校へ出向いて、現在指導に当たっている。国籍や言語の異なる人と触れ合うのは決して嫌ではない。そんな人とは付き合い、色々こちらが学 びたいと思っている。相手の言葉が理解できれば、もちろん最高である。それでも、伝えようとする気持ちがあれば必ず通じる。僕はそう信じている。「友達になろうよ」という軽い気持 ちがあれば、外国の人と付き合いはできる。気楽に友達になろうよ。
山田 建二

私たちの国際交流:10

優しさに魅かれて

   北名古屋市に住み始めてからまだ4ヶ月にも満たないですが、日本のことは知らないわけでもありません。
 香港出身の私は子供のころ家族とカナダへ行って、バンクーバーで育っていたので、日本も含めているアジアの国々や文化などはあまり詳しくありませんでした。正直というと、興味 もあまり持っていませんでし た。しかし大学の時、イギリスへ留学する際、同じく留学していた日本からの女の子達に出会って、友達になったことで、日本のこと、日本人の考え方や生活の仕方に興味を引かれまし た。
 卒業した後、日本JETプログラムで岐阜県揖斐高等学校に派遣されて、英語を教えながら、地元の方々と国際交流し始めました。その時一番感動したのは地元の方 の優しさです。学校の先生達やお店の店員、またガソリンスタンドの従業員にも言葉は全然通じていなくても、 頑張って優しく説明して頂きました。そのおかげで生活上結構助けられました。本当に素晴らしい人達だと今で も思っています。
 それで二年間楽しい田舎生活を過ごしました。その後、生活のペースを完全に変えて、都会の香港に戻って、国 際貿易の仕事を始めました。毎日仕事に追われていましたけれど、賑やかなまちで充実していました。それに仕 事の出張で様々な国を訪問して、以前知らない文化や習慣(例えば中東やインドのこと)もたくさん学びました。 それでも、日本人の優しさは忘れませんでした。
 ですから、今回日本に戻って、地元の手伝いを受ける側から、少しでも社会に役に立てる側で活動したいと 思っています。
 北名古屋市国際交流協会「韓国フェスティバル」地域おこし委員会にも入って、交流の輪を広げ、コミュニ ティーのための力になりたいと思います。また、愛知県医療通訳システムの通訳者として、同じく日本に住んで いる外国人を手助けたいと思います。優しさを自分自身からも表していきたいと思います。
Carol Lau(キャロル ラウ)

私たちの国際交流:9

相互理解から

 私は中学校1年生から日本語を勉強してきました。日本語を選んだ理由としては、漢字に対する親近感があったからです。
 しかし、同じ漢字でも文化的意味が違うことを日本人との交流を通じて知ることができました。 日本人の友達に「私は二〇〇九年九月九日に結婚したよ」と話すと、友達は「九」が多いことに驚きます。 なぜなら「九(く)」は日本語では縁起が良くない数字であるからです。 しかし、中国語では「天長地久」という四字熟語があり、「愛情や友情が天地のようにとこしえに変わらない」といった意味を表します。 中国語において「九jiu」は「久jiu」と同じ発音であるので、永遠に幸せになる意味に繋がります。
 国際交流において、一番大事なのはそれぞれの文化や価値観の違いを理解すること、相互理解ではないかと思います。 日本の伝統文化の生け花を体験したとき、お花を剣山に挿す角度を少々変えることによって生け花作品の全体の雰囲気がだいぶ変わることに感動しました。 相互理解はまさに生け花のように、人々の考えの「角度」を少し変えることで、さらに理解を深めることができると思います。
 現在、私は国際交流の一つの活動として北名古屋市国際交流協会の中国語講座で、市民の皆様に中国語を教えています。 それは、中国語・中国文化に興味を持っている皆さんと楽しく中国語を学んで、「中国語が話せた!」という達成感を一緒に味わうことです。 北名古屋市の皆さんとの交流から、日本人は非常に親切であり、友好的で他人への思いやりのある人々であることを理解できました。 帰国してからは、母国の人々にこのような素晴らしい日本人の姿を伝えることができたらと思います。

名古屋大学大学院文学研究科 朴景淑

私たちの国際交流:8

SVA(シャンティ国際ボランティア会)北名古屋

SVA(シャンティ国際ボランティア会)北名古屋 SVAは、30年前、カンボジア・ラオスの難民が大量に流入したタイ国境の難民収容所で活動を開始した。カンボジアのポル・ポト政権の崩壊がきっかけだった。
活動の中心は、「図書館」で、難民が祖国カンボジアの文化を失わないために、焼かれずに残った本を捜しだし、日本から運びこんだ印刷機で出版した。足りない分を日本の絵本で補った。 和平協定によって祖国に帰っても、学校も本もなかった。この姿を見て「絵本を届ける運動」が始まった。
「SVA北名古屋」は、五条小学校や高校生、地元の婦人会のボランティア活動で、日本の美しい「絵本」に現地語(クメール語、ラオ語)の訳文をはり付け、昨年までの10年間に1200冊以上を贈っている。 SVAではこのほか、学校建設、図書館創設、職業訓練、クラフトエイドを行っている。ミャンマー難民・アフガニスタンでも活動し国内では阪神淡路大震災、三宅島噴火にもかかわってきた。ここまでの活動は、財施(募金)、身施(シールはり付け作業)の支援がなかったら存続できず、支援者に感謝するばかりである。

SVA(シャンティ国際ボランティア会)北名古屋 浅見 顕宏

私たちの国際交流:7

(財)AFS交換留学生のホストファミリーになって

交換留学生のホストファミリー  我が家に新しい家族が増えたのは、今年の3月末のことでした。
スイスから来た留学生ソフィーは17歳のとても可愛い女の子です。
ホストファミリーになったのは、財団法人AFS日本協会の募集案内を見たのがきっかけです。
 英語もできないし、小さな子ども2人(小1・年少)抱えて、無謀な挑戦のように思いましたが、「何とかなるだろう」と考えていました。
最初は、辞書との格闘で、私は自分の語学力の向上を実感したのですが、残念ながら、ソフィーの日本語習得力には足元にも及ばず、今では辞書を手にすることもほとんどなく日本語で日常会話はできるようになっています。
日本語で会話ができるようになるにつれて生活も楽しく、彼女ともより深く理解しあえるようになりました。
この原稿を書いてる時、ソフィーから「日本が大好きになったから、もっと日本について学びたい。日本の大学は難しいですか」と聞かれました。
 あと数カ月でソフィーともお別れですが、彼女の将来がとても楽しみに感じました。
そして、私の楽しみはまだまだ続きそうです。

(北名古屋市熊之庄 鈴木 徳子)

私たちの国際交流:6

名古屋芸術大学の交換留学生

4月からの前期交換留学生は、イギリスから6名、スウェーデンから1名、ドイツから1名合計8名が来日。 日本の学生と一緒に勉学に励んでいます。
 日常生活ではアパートで自炊をして、お昼のお弁当を作り、自転車で大学に通い、工房での作品制作に毎日励んでいます。 2ヶ月が経ち、北名古屋市の住み心地を聞いて見た所、家庭菜園や野菜作りをしている風景はとてものどかで気に入っている様子。 驚いたのは、家が急に壊され、すぐに新しい家が建つことです。
 イギリスでは外壁は石造りなので、壊される事はまずありませんし、いつもの風景が変わる事はないようです。 この建物はまだ新しくて1600年代に建てられたと紹介してくれた友人の事を思い出しました。
 また、日本人は騒音に対して余りにも鈍感で、交通量の多い地域はともかく、住宅街では、もう少し静かに暮らす事が出来ると良いと話していました。 イギリスでは、朝の新聞や牛乳配達の車は、30年前から電気自動車を使って、エンジン音や騒音に気を使っている点は日本も見習うべきです。
 日本の魅力は、京都や奈良の風景ではなく、地域のコミュニティーや文化を継承し、「マナーを守り、心豊かな生活環境を市民の皆さんと築く事」だと改めて気づかさせられました。
 名古屋芸術大学交換留学生展が、名古屋芸大アート&デザインセンターで7月2日~7日まで開催されます。ぜひご覧下さい。

(名古屋芸術大学国際交流センター長 和田 義行)

私たちの国際交流:5

務安郡ロータリークラブとの交流

務安郡ロータリークラブとの交流 10月8日朝6時集合が、台風の直撃により、4時間遅れで中部国際空港を出発しました。 そのため、当日に予定していた務安RC会員との懇談会は中止、遅い夕食を済ませホテルに到着したのが10時頃となりました。 翌日の務安RC会員との懇談会では、会長を始め会員や郡の職員など10名の出迎えをうけ、尾張中央RC平岩会長の流暢な韓国語を交えた挨拶で全員が一度に和やかな雰囲気になり、予定時間を大幅に超過し、3時間に渡り親交を深めることができました。
3日目は、韓国の誇る新幹線でソウルへ向かい、市内観光で一日を過ごし、中部国際空港に無事帰ってきました。 今回のツアーでは、北名古屋市と姉妹提携している韓国の地方都市、務安郡とその隣町、木浦市を観光しました。 務安RC会員との親交を深めることで、交流の目的は十分達成できたかと思います。
旅にでると、その土地、その場所での美味しい料理を食べることも、大切な旅の目的だと思います。

(尾張中央ロータリークラブ   赤堀博宣)

私たちの国際交流:4

いけ花で中国と交流

韓国語講座(初級) 万渓寺(久地野)では、いけ花を通じ、中国山東省花卉協会と文化交流をしています。
平成7年に日中国交樹立35周年・山東省花卉協会設立25周年に住職の私が招かれて、いけ花のデモンストレーションをしましたが、これが好評で、以来いけ花を通しての交流が始まりました。
平成20年は、いけ花の指導に中国に渡りました。 平成21年春は「八代流春のいけ花展」に来日、出瓶参加され、数名が万渓寺に滞在されました。 滞在中は、市役所に長瀬市長を表敬訪問されたあと、東庁舎隣りの歴史民俗資料館を見学されました。
また、花屋さんを見学されたり、ホームセンターでの買い物など、日本の生活の一部を体験していただきました。 檀家の方々といっしょに、高遠城跡公園や駒ヶ根光前寺の桜、南木曽の花桃など日本の春を満喫され、役員方々との食事会やカラオケ等でも交流を深めました。 もちろん、真の目的である、いけ花の基礎、割留め、折留め等の技術指導も行いました。
平成21年の秋、9月26日開催の「中国大花卉展」いけ花部会にはゲストとして招かれており、出瓶、講義、実技指導の予定です。 意外と思われるでしょうが、日本のいけ花文化に深い関心があるようです。

(佐治真雄)

私たちの国際交流:3

GSEチームの視察研修のお世話

GSEチームの視察研修のお世話 ロータリー財団事業の一つに、職業と文化について他国との交流と親睦の場を作り、真の国際交流を促進することを目的とする研究グループ交換制度(GSE)があります。 わがロータリークラブでは、平成20年の11月下旬にこの制度によるアメリカ・オハイオ州からの5名を受け入れ、視察研修のお世話をしました。
市内では、文化勤労会館のカラクリ人形、歴史民俗資料館、回想法センターを案内、過去を回想することで老人の健康と気力の維持が図られることに興味を持たれたようです。 西春小学校では4年生の授業を参観、音楽の授業では、打ち解けてメンバーも子供達と一緒に踊りだしました。 日本の最先端を行く新装エコ校舎を見学の後、先生方と通訳なしの意見交換を行いましたが、有意義なディスカッションができたと思います。
短い滞在でしたが、会員やステイ先家族などとの食事会やカラオケなどもあって、日本を楽しんでいただけたと思います。 もちろん、本来の目的である工場見学なども多く組み入れ、外国人労働者の受入状況など、意見交換も行うことができました。

(尾張中央ロータリークラブ 赤堀博宣)

私たちの国際交流:2

太鼓を通じて国際交流

太鼓を通じて国際交流 本市を拠点に活動する師勝太鼓「鼓っつ」は、海外にも進出しています。 平成19年12月29日には、IVO(国際民間文化芸術交流協会)JAPANの推薦により、マレーシアの首都クワラルンプール市の独立記念広場で得行われた第1回世界ドラムフェスティバルに参加することができました。 IVOは、舞台公演、民俗文化の展示、ワークショップなどで文化交流を積極的に推進し、UNESCOの「世界平和への貢献」に参与することを目標にしている民間の国際交流機構です。 フェスティバルでは、「鼓っつ太鼓」を演奏、大好評でした。 フィナーレでは、各国ともすばらしい衣装でステージに立ち、感動的なシーンが繰り広げられました。 行事の合間には、クワラルンプール市を表敬訪問し、サルレ副市長に面会し、長瀬市長から託された友好のメッセージを手渡すことができました。 市庁舎では篠笛と太鼓で「さくらさくら」を演奏、盆踊りでは副市長も輪の中に入って踊っていただきました。
滞在中、「鼓っつ」の11人のメンバーは、太鼓や篠笛、きもの、おりがみ、伝統遊びなどを通して、現地や参加各国の方々と笑顔で交流を重ね、「ありがとう、こんにちは」の日本語も出て、すばらしい体験をすることができました。 マレーシアの皆さんには滞在中から出発まで親切にお世話いただき、感謝でいっぱいです。

(鼓っつ:佐藤要)

私たちの国際交流:1

「自立を始めた女性」の村に診療所を

「自立を始めた女性」の村に診療所を その日暮らしの長い貧しさから抜け出し、物を作って売り、僅かであっても現金収入を得ることを学び始めたバングラディシュの女性たち。 その母の傍らに、働くことを覚えようと一所懸命な子供たち。 どちらも生き生きとした目に喜びが溢れています。
これは、現地NPOガンガ福祉財団の活動の一つ、マイクロクレジットという事業資金の貸し出しシステムの成果です。 数人で組合を作り、共同作業や協同責任で返済していく方法で、利息も払い、仕事のアドバイスも受けながら、自立の力をつけています。
しかし、自然災害や病気にもろい子どもの死亡率が高く、平均寿命55歳。今、この村が切望するもの、それは「診療所」です。 私たちマインドは、その願いが叶えられるように、ガンガ福祉財団と協力して活動を進めています。

(国際交流マインド   永田佳代子)

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